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~古今東西の映画レビューを若干辛口で~
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a50ef4b9jpegただのエロ映画。

金持ちのボンボンが、やりたい放題の生活から真の愛を見つける、みたいなクソ映画。

そんな浅薄な「愛」ってなんだ?

I love you.

簡単な言葉だけど、そんなに簡単に言いたくない。

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b2ce1065jpeg 『セントラル・ステーション』のウォルター=サレス監督
『天国の口、終わりの楽園』のガエル=ガルシア=ベルナル主演


やはりロードムービーはいい。
そう思わせてくれる作品。

広大な大陸と遥かな山並み、そして抜けるような空の薄水色に、普段心の底に押し込めている若き日の情熱を呼び覚まされる。


チェ=ゲバラをガエルが演じると、こんなにも爽やかになるのかと、多少の戸惑いと感心を覚えるのだが、彼の思想の根底にあるものがこういった旅であるとか、持病の喘息であるとか、出会いであることがきちんと伝わってくる。

自分の周りにあるもの、自分自身、目に映るものを飲み込み、吐き出す。その行為は時に不遜さを伴わなければ変化を生み出さない。

自分の器を知り、身の程をわきまえる。それが唯一の道ではないと彼は知っていた。


資本主義・民主主義と呼ばれるものが実際には地主-小作体制の表面的変質に過ぎず、マルクスの描いた理想こそ求めるべき新体制ではないのかと、青い夢をまた見てしまう。

人はゲバラのように生きるべきか。

きっと僕が生徒にそう教えることはないだろう。
ただ、心の中でのみそう願う。

2163c783jpeg金曜ロードショーでやっていた。

何度観たか知れない。でも何度観てもいい。

「それが運命なら」
自分の生をまっすぐに見つめるアシタカ。

「君は美しい」
その言葉に動揺するサン。

生と死は隣りあわせで、ぞれでもそれぞれに生きてゆく人間と動物。
昔はそこに恐れと敬いがあった。
均衡が崩れた時、残るのは不遜と忘却。
もう遅いのだろうか。


声を担当するのは豪華な俳優と女優達だ。

美輪明宏(モロ)
石田ゆり子(サン)
田中裕子(エボシ)
小林薫(ジゴ坊)
西村雅彦(甲六)
名古屋章(牛飼い)
森光子(ヒイさま)
森繁久彌(長老)


ジブリいいねぇ。

b37bd7b6jpeg1979年公開

題名は、「アメリカで原発事故が起こったら、メルトダウンにより炉心の核物質は地下に沈んでゆき、ついには地球の裏側の中国まで到達するだろう」という理論上の可能性のこと。


原子力発電所の取材中に事故が起こりかけた。
隠蔽しようとする電力会社上層部と、真相に気づいた技師、テレビクルーとの闘いを描く。

70年代のアメリカ映画というものは、最近のハリウッド映画とは全く異なる。映像や音楽ではなく、あくまでも演技力で勝負している。

技師役のジャック=レモン、リポーター役のジェーン=フォンダ(ヘンリー=フォンダの娘、ブリジット=フォンダの伯母)、カメラマン役のマイケル=ダグラス、それぞれが迫真の演技を見せてくれる。


公開直後の1979年3月、スリーマイル島の原発事故が起こり、この作品で危惧された原発の危険性が現実のものとなった。

当局の発表によればこの事故による健康被害者はゼロであったが、それを鵜呑みにするべきでないということをこの作品が警告しているように思える。

f6f9047bjpegストーリーはまったく理解不能。僕には理解能力がないのかしらん。

この映画は色彩を楽しむものだと、緑と赤という補色の魅力をを存分に楽しむものだと思う。

全編を通じてかぶせられた緑のフィルターを通してアメリという不思議生物を眺めるとき、この白雉のような不思議ちゃんがまるで世の中の中心にいて僕のような存在が逆に異端であるかのような錯覚に陥る。

そしてその中にちりばめられた赤色のシミが、狂気ではなく、心の平衡を保つためのトランキライザーなのではないかとさえ思えてくる。

とどめはブルー。青ではなくブルーが、緑と赤で埋め尽くされて塗り固められてしまい麻痺してしまった感覚をふいに開放してくれる。


受身で観る映画。

休日に何も考えずに観る映画。

それでもおフランス映画だからちょっと気取って観る映画。



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