『ペッピーノの百歩』のジョルダーナ監督とルイジ=ロ=カーショのコンビ。
イタリアを描いた映画でアメリカの曲を使うのはこの監督の悪い癖だと思うが、この作品はイタリアの曲も取り混ぜ、やや中和してあったのかなと。
しかし6時間6分は耐えがたい。
で、結局のところ何が言いたいのかは分からなかったが、人生にはいろいろなことがあり、それぞれに何かを抱えているのだなということが、『裕福な家庭』を通して描かれていたように思う。
ここも疑問。
共感を得たいという意図が希薄なのではないか?
中途半端な金持ちの中途半端な自伝を読んでいる感じが拭い去れない。
映像も意図したものなのかさほどきれいではなく、年代が飛ぶために登場人物の把握も苦労する。
観るのに努力が必要な作品に仕上がっている。
映画館のシーンで「シェルブールの雨傘」の音声だけが流れるが、これも必要なのかどうか…。
フィルムの時間を長くすることでニコラの一生を追うことはできたが、それでも少々冗長に過ぎる気はする。そして同時に簡潔に過ぎる。
つまり、中途半端になってしまったのではないか。
これだけの作品を撮ったことは素晴らしいと思うが、自己満足の垂れ流しはあまりいただけない。