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~古今東西の映画レビューを若干辛口で~
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565077aajpegラン♪ランララ♪ランランラン♪

「その者、青き衣を纏いて、金色の野に降り立つべし」


巨神兵が大地を焼き焦がすそのレーザーで薙ぎ払っても止まらないオームの突進。

両手を広げて立ちふさがるナウシカ。

突進し続けるオーム、宙に跳ね上げられるナウシカ。

そしてオームの赤い攻撃色が青く変わり動きを止めた…。


宮崎駿の世界。

現実ではなく、非現実でもない、そんな世界。

どことなくノスタルジックでありつつ、未来を描くこの世界は、「未来少年コナン」とパラレルな関係にあるのかもしれない。


もはや観たことのない人の方が少ないかとも思うが、ぜひお奨めしたい作品だ。

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2c3d3236jpeg15年前に映画館で号泣した。


エンディングテロップにもあるように、これは実話に基づいた話である。(原題「AWAKENING」)


1915年から1935年にかけて嗜眠性脳炎という病気が流行したが、これはその病名が示すとおり昏睡状態を引き起こすもので、治療法は未だ見つかっていない。

レナードは少年期にこれに罹り、そして30年を昏睡状態で過ごした。

セイヤー博士(実在のオリバー=サックス医師)は他の病気の治療薬として開発されたL-DOPAを投与してみることを考え、そして奇跡が起こった。

(この薬品は、実際に現在でもパーキンソン病の治療薬として用いられているもので、脳炎後にパーキンソン病に移行する患者も多いことから、何らかの関連はあるのだろうが、1969年の段階でこのアイデアを実行するにはかなりの勇気が必要であったろう。)

しかし、その薬品の効果はあまりにも儚く、再び彼は眠りの世界へ引き戻されてゆく。


ストーリーは単純である。いわゆる「お涙頂戴もの」と言ってしまえばそれまでだし、キャスティングがどうのこうの、演技がどうのこうの考えると単なる興行的ハリウッド映画だろう。


ただ、純粋に、画面に現れるシーンをそのまま受け止めてもらえれば、きっと観て良かったと思えるはずだ。

f13c6d76jpegこれを観るきっかけとなったのは、両親の思い出だ。
1964年公開のこの映画、若き日の父と母に素敵なひと時を与えたことだろう。


舞台となるのは大戦下のオーストリア。

次第に強まるナチスの影響力の中で翻弄される人々の生活。

マリア(ジュリー=アンドリュース)とトラップ大佐と子供達の心の交流と逃避行。


ストーリーは単純だが、それを歌が幾重にも覆い、ずっしりとしたものに仕立て上げている。

3時間弱という長編ではあるが、それを全く感じさせずに引き込まれてしまう。まさに名作中の名作であろう。

家族と、恋人と、是非一緒に観てもらいたい。


余談ではあるが、「エーデルワイス」はオーストリアの国歌ではない。ただ、その歌詞「Bless my homeland forever」のくだりには感動を禁じえない。

47bafecbjpeg1978年製作。183分。


良くも悪くも「ロシアンルーレット」がメインとなる映画。テーマとしても、シーンとしても。


3時間という長編であり、退屈な部分もある。もっと短くできたかもしれない。分かりやすくするために。ただ、何かをシンプルに伝えることだけが目的であれば映画でなくともよいのではないかとも思う。そうでないからこそ、映画なのだろう。


友情の重み、死と秤にかけてもなお重いもの。それはこの時代の日本に住んでいる我々にとっては所詮関係のない命題である。しかし、自身の生涯においてそういった選択を迫られることがないとしても、価値観として、理想論としてでもいいから持っておきたいものだと思う。


観終わった後は確実に疲れていると思うが、70年代を代表する作品として観ておくだけの価値はある。

55e223d9jpeg1968年の作品。原作はアーサー=C=クラーク。


誰もが楽しめる映画ではない。特に女性にとってはあまり魅力を感じられないテーマかもしれない。テンポも遅いので、じれったく退屈に思う人もいるかもしれない。

 

本作品はスタンリー=キューブリックのSF3部作のひとつであり、彼の『映画』に対するこだわりを十分に堪能させてくれる。(他2作「博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」「時計仕掛けのオレンジ」)


メインの舞台は題名どおり2001年であるが、400万年前の人類がまだ知性を獲得する前の描写から始まり、2001年の月面、そして木星へ向かう宇宙船、さらに本作中最も意義深い異次元場面へと移行する。

象徴として、手がかりとして、本作中にまさに埋め込まれているのは『モノリス』。これが何を意味するのかは、作品を観て判断してもらいたい。また、原作を一読してから本作を見るのも一つの正しい手順かもしれない。

 

作中に効果的に使われる楽曲は、リチャード=シュトラウスの「ツァラトゥストラかく語りき」の冒頭部分とヨハン=シュトラウスの「美しく青きドナウ」である。

これらの楽曲が、人類の誕生と宇宙の広大さ、神秘的な雰囲気を見事に増幅させている。


原人の演技、宇宙船内の女性の演技など、少々不満な部分もあり、また、HAL9000がなぜ反乱を起こしたか、そもそもその設定を組み込む必要があったのかという疑問もあるが、それらも含めてこの時代の作品としては抜きん出ており、この映像美と楽曲の組み合わせには感服せざるを得ない。CGを全く使用せずにここまでの映像を撮れるとは。


40年前に、クラークが思い描き、キューブリックが観せた世界。新世紀を迎えた人類が到達しているであろうと期待した世界。

2006年、僕たちはまだこんな場所にいる。


薀蓄1:「ツァラトゥストラかく語りき」は、カラヤン/ウィーンフィルであった。(「美しく青きドナウ」はエンディングロールに指揮者/演奏者が載っているが、なぜかこちらは載っていない。)
薀蓄2:HAL9000(宇宙船のコンピューター)の名前は、IBMを一文字ずつ前にずらしたものと言われている。



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