「ホロコースト」という邦題がついてはいるが、作品中でそれがクローズアップされることはない。
虐殺シーンは一切なく、死体も出てこない。
ただ、収容所に向かう貨物列車と、収容所から戻る貨物列車が、扉が閉まっているか開いているかで表現さているのみだ。
この象徴的なシーンは随所に挿入される。
この作品は、ホロコーストを批判したものではないのだ。
主人公は2人。
SS中尉のゲルシュタインとカソリック神父のリカルド。
科学者であるゲルシュタインは大量虐殺に疑問を抱き、カソリック教会に告発する。
リカルドはその告発を受け、世界に向けて非難宣言をするよう法王に働きかけるのだが。
宗教が肥大化する時、それは権力となり、神から離れてゆく。
集団を守るため、地位を守るため、権威を守るため、いろいろな理由はあるだろう。
非難したところで何も変わらなかったかもしれない。
それでも、カソリックがユダヤ人を見捨てたことは確かであり、ホロコーストはそういったネガティブな形の協力によって成立したのだと、この作品は言っているのではなかろうか。
ヒトラーだけが虐殺を行ったのではない。
彼を止めなかった周囲の人間も、彼を政治中枢に送り込んだ国民も、知りながら止めようとしなかったカソリックを始めとする宗教界も、世界中の人も、それぞれが罪の意識を持たねばならないのではないか。
そして、それを知っている我々の一人一人が、こういったことを二度と起こさぬよう、意識するべきなのではないかと、そう思わされる。
今、この瞬間にも、地球上では同じことが繰り返されている。
スーダンのダルフール紛争では、すでに20万人とも言われる虐殺が行われている。
何ができるだろうか。
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