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~古今東西の映画レビューを若干辛口で~
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bf332c8cjpegやられた。
完全にやられた。
映画館で思わず「えぇっ!?」と声が出た。

ホラーはあまり観ない僕だけど、これはいい。
わざとらしいおどろおどろしさが全面に出ていないところも悪くないし、何より溜めて溜めてアレだから。

観てない人はすぐに観よう。

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84be8f73jpegこれはいいね。

笑えるし泣ける。

1988年のカルガリー冬季オリンピックに参加したジャマイカチームの実話を映画化したらしい。

これを観てから冬季オリンピックのボブスレーに注目するようになった。

これはきっと誰が観ても面白いと思う。

338b868ajpeg人間の本質は日常生活においては常に隠されている。
そのことに改めて気付かされる。

エリアスとバーンズの対立は我々自身の中にある行動理念の対立であり、それは常にどちらかが正しいというものではない。
生存と正義を秤にかけるという単純なものでもない。

人が1人で生きている限り、その人は常に正義である。ところが、2人になった瞬間、正義である場合とそうでない場合が生じる。そしてその正義とは最終的には力関係によって決定される。
その規模が大きくなり国と国との対立になると「戦争」という名前がつく。
そしてそれは正義という言葉だけが独り歩きした惰性によって続いてゆく。
戦う者はそれぞれに意味を求め失望する。

存在意義が正義なのだという解釈を与えれば、つまるところ戦争とは人間の抱える必要悪であり永遠になくなることはない。


この作品でも何ら解決策などは提示していない。
ただ、我々がそれぞれに考えるよう促しているようには思える。

8498ad77jpeg美しい者は生まれた時から特権を持っている。
美しくない者の中で弱い者は食われる。
強くあろうと心の底から願う者だけが生き残れる。

それは現代にも通ずる真理かもしれない。

社会の尺度はその強さの定義を変えはするが、弱者が結局食われることに変わりはない。

強さを求めるならばそこに既存の正義は必要ない。
邪魔なだけだ。

そうして強さを手に入れた者が望む社会が生まれ、それが新たな正義を作る。

歴史とはその繰り返しで、我々人間はそこから色々なことを学びながら少しずつ正義をより正義に近付けてゆくものなのだと、この作品を観る度に思う。


弱者をいたぶるのはこれもまた弱者であり、他者の非難によって自己を確立するという愚かな行為に過ぎない。
それでも、世の中がまだ豊かでない以上、そもそも飽く事を知らない人類がどこまでゆけば豊かになるのかは誰も知り得ないが、そこには弱者が必ず存在し、こういった行為が生まれる。

過去の話ではない。
今現在もアフリカ諸国、中東諸国では同様の行為が繰り返されている。
この日本においてさえ、程度や形は違えども、同様の行為は行われている。

正義と強さはほとんどの場合において両立しない。
それが両立するのは強さの結果として正義が成る場合だけだ。
だからまず、強さを手に入れることからはじめなくてはいけない。


非常に重いテーマを含んだこの作品。
スピルバーグが娯楽主義と別に取り組んだ本作とシンドラーズリストには、彼がユダヤ系というコンプレックスを払いのけるための意志が込められているように思える。

長編なので時間のある時にどうぞ。

449df6edjpeg1960年公開 モノクロ

ジャック=レモンは今で言うジム=キャリーのようなコメディー系の役者のはずだが、この作品での彼は難しい役柄をきちんと演じきっている。
とは言え、後年の「チャイナシンドローム」で見せるひたすらシリアスなものではなく、ややジェスチャーがオーバーな若き日の彼といった感じのもの。

シャーリー=マクレーンはひたすらキュート。
ショートカットが似合うアンニュイな女性を好演している。

~~~~~

ひたすらサラリーマンなバド(ジャック)と、その上司と不倫関係を続けるフラン(シャーリー)。
バドは密かにフランに想いを寄せるがフランはそれに気付かない。
さて、この二人の関係はどうなるのか。

~~~~~

ラスト5分とその余韻が、思わず笑みを浮かべずにはいられない。

これは最高の映画だと思う。



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