巷では「沖縄の集団自決は軍部の責任ではない」といった論調も見受けられる。
確かにそれは一部において正しいのかもしれない。
ゲーリングは言う。
『我々とこの事態を国民が選択したのだ。』
つまり、体制を迎合あるいは容認した国民にも、その責任の一端を担うことが求められるという意味で。
作中ではヒトラーの狂気がクローズアップされると同時に、その側近や秘書、少年兵達のそれも描かれていた。
それぞれが何かに脅え、何かを信じ、何かをないがしろにした。
「総統」という言葉が全てを強要し全てを許した。
経済が閉塞し国庫破綻も現実味を帯びてきた昨今、持てる軍事力に対する規制が緩和されようとしている。
それが大東亜戦争以前の日本の姿とだぶる。
二度と再び「天皇陛下」という言葉がかつてのような力を持たないようただ祈るのみだ。
このような映画を製作・上映したドイツのように、過去の愚かな行為に真摯に相対し、真摯に反省することが我々にも求められている。